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紐解く絵巻物

信貴山縁起絵巻

原本、模本、複数系統など一覧

国宝本

※転載不可

【作者】不明

【制作時代】平安後期

【所蔵】朝護孫子寺(奈良博寄託)

信貴山縁起絵巻模本 住吉廣保筆(住吉模本)

※転載不可

【作者】住吉廣保絵、藤原保光書

【制作時代】元禄十四年(1701)九月絵、享保八年(1723)書

【所蔵】朝護孫子寺

国立国会図書館所蔵模本

【ライセンス】CC0

【作者】不明

【制作時代】江戸中期

【所蔵】国立国会図書館

国立国会図書館模本詞書現代語訳差し替え

【ライセンス】CC BY SA 4.0

【作者】現代語訳作成 chakkun1121(サイト作成者)

今治市河野美術館所蔵模本

※転載不可

想定復元模写(文化庁所有)

※転載不可

【作者】富澤千砂子ら

【制作時代】平成25(2013)

【所蔵】奈良国立博物館、京都国立博物館

作品解説

信貴山縁起絵巻しぎさんえんぎえまきとは、信貴山しぎさんの朝護孫子寺ちょうごそんしじにいた命蓮みょうれんというお坊さんの説話を絵巻物にしたものです。

※ この先解説の都合上、大量のネタバレがあります。ご注意ください。

※信貴山縁起絵巻についてはNoteで解説記事を書きました。以下の説明はそのnote記事での考察前に書いたものなので少し古いものが含まれています。視線誘導から考える信貴山縁起絵巻解釈 | Note

この信貴山縁起絵巻は三大絵巻物(他に源氏物語絵巻、伴大納言絵巻)の1つとされています。異時同図法の効果的な使い方が素晴らしく、また、ドローンなどがない平安時代に制作されたものであるが、本当に空から眺めている感覚が味わえます。また、場面転換などが素晴らしく、現代のアニメにつながるところもあります。

これについてはジブリの映画監督の高畑勲監督が『十二世紀のアニメーション』と言う本で詳しく解説してくれているので、もし興味があれば図書館などで借りて読んでみてはどうでしょうか? ただ、この本で解説されていましたが、カメラは俯瞰目線からだけではなく、必要に応じて結構自由自在に回しているみたいです。

国立国会図書館詞書現代語訳差し替えについて

信貴山縁起絵巻の詞書は当たり前古文、くずし字で書かれています。しかし、現代でこれを読める人はほとんどいなく(私も最初はぶっ飛ばしていた)、別のところで解説を読んだりするなど当時の鑑賞方法から大きくはなられてしまっています。

そのため、詞書を現代語訳し、それを編集で入れたものを作成しました。これによって現代の私達でも当時の鑑賞方法のシミュレーションができるでしょう。

しかし、私は理系で古典はほぼわかっていない状態でGeminiと作成したものなので違うところがある可能性があります。また、ここでは古文の訳として正しいことよりも現代語としてのよみやすさ、行数が同じになるように作成しました。

詳しい制作過程などは私のnoteに書きました。

第1巻(山崎長者の巻/飛倉の巻)

信貴山縁起絵巻 飛倉
信貴山縁起絵巻 飛倉

第1巻(山崎長者の巻/飛倉の巻)は、命蓮が信貴山にいながら食事をもらうためによく街に鉢を飛ばし、食料を入れてもらっていました。しかし、それが油売りの長者の家についた時、長者はウザかったので食料を入れず蔵に押し込むところから始まります。その後、蔵に入れた鉢によって蔵ごと信貴山に飛ばされます(下の画像はこの場面を切り出してきたもの。Wikipediaより。本来絵巻物は連続的に繰り出して鑑賞するものだから個人的に部分的に切って掲載することはしたくないが、場所の都合上、こうせざる負えない…)。長者は蔵ごと返してくれといいますが、命蓮は蔵は返さないが米は返すと言ってきました。しかし困ったことに蔵の中に大量の米を入れていたので山から街まで持って帰るのは相当困難です。そこでまた命蓮が鉢を使って米俵を飛ばして元の場所に戻すというストーリーです。

この第1巻は実際に印刷して巻物にすれば一目瞭然ですが、他の2巻と比べて短くなっています(おおよそ 8.5、12、14m)。これは外側が痛みまくり、切断されたからだと考えられています。絵巻物では鳥獣戯画という例外や同じく最初の詞書きが失われたと考えられる伴大納言絵巻(これははじめの方の痛み方がひどいため、切り落とされたと考えても差し支えない)という例外を除き、詞書きがあり、その後絵があるという順番となっています。そのため、おそらくこれは詞書きが失われたと考えられます。また、これも有名な話ですが、はじめの長者の家は最後の方の場面の長者の家と残っている部分の描写が同じです。そのため、もう少し右側にあったと考えられています。ただ、これでも量が合わないので、もう少し絵があったと考えられます。他にも視線誘導を考えた場合でもやはり詞書以外に最初に絵があったと考えられます。これについてはnoteで詳しく解説しました。

個人的な考えですが、信貴山の宣伝で使いまくっていて(ただこれについては最近では違うのではという説も出てきているが、観賞のときに今とは違ってある程度雑に扱っていたと考えられる)、結構雑に扱っていたら他の理由もありそうですが、初めのほうがもげてきて、本題から始めたらいいんじゃねって誰かが思ってぶった切って現在の形になったと考えています。多分最初から詞書きを書くこともなく始めるのはおそらく無いでしょうし、現存している最初の場所が傷んでいないことからして、意図的にぶった切られたと考えます。あと、広告として雑に扱われていたと考えると、途中でバラけて戻すときにつなぎ方がわからなくなって適当に戻したらうまく繋がらなくなり、書き足したとか考えれば錯簡疑惑は理解できます。と言いましたが、修理の際にまともに記録をセずにバラすというずさんな管理が原因かもしれません…。その真相については多分誰も知りません。

先ほど雑な扱いと言いましたが、これも高畑勲監督も書いていましたが、絵巻物の鑑賞方法についてはまず、全編を広げて鑑賞するものではありません。博物館等でこうやっているのは、何度も巻くと痛むだけではなく、一般人に触らせたら扱い方を間違えるなどでだめになるからだと思います。あと単純にさばける人数の話もあると思います。これについては仕方がないことだとは思っています。このため、早期に作品の高画質データを公開し、スマホや家で作成した複製で実際に見える範囲を絞って鑑賞する体験ができるようになることを願います。

※私は理系の大学生であり、絵巻物についてはある程度参考資料等を漁りまくってある程度の知識を持っていますが、完璧ではありません。間違えていたり勘違いしていたらごめんなさい。

また、蔵が飛んでいる場面ですが、実は蔵の影が描かれていません。このため、私は最初に見たときにあまり前提知識を入れずに鑑賞したため、途中の場面で蔵が飛んでいるとはわかりませんでした(特に先程掲載した画像の場面では蔵が川に浮いているのかと誤解してしまった…)。これは、太陽は平行光線(と近似できる)であり、ある面から光が当てられる面光源とみなせます。このため、絵巻物の場合、ある場所に影を描いた場合、スライドさせて別の場所から見たときに影の方向が合わなくなります。そのように太陽の方向とか考えないといけないとなるとめんどくさいので、多分描いていないと思われます。その代わり、川の上にあるように描いたり、人々の視線を上の方向に向け、蔵が飛んでいるというように表現しています。

また、このサイトに掲載している国立国会図書館所蔵の模本ではサボられていますが、原本、住吉模本でスライドさせていると川が動いて見えるのは気の所為でしょうか?

他にも右から左へ繰り広げて鑑賞することを前提としているため、ほとんどすべての場面で60cm程度ずつ繰り広げていくことを考慮しており、左側に次への場面へつながるものが描かれています。現在の小説で言うところの伏線でしょうか?

第2巻(延喜加持の巻)

延喜加持の巻 剣の護法童子
延喜加持の巻 剣の護法童子

第2巻(延喜加持の巻)は、京都にいる醍醐天皇が病気になり、どうしようもなくなり、信貴山に頼むことにしました。使者が信貴山に行くものの、命蓮は信貴山にいながら治すと言いはりました。その後、実際に京都にいる醍醐天皇の病気が治るという話です。ここで有名な剣の護法童子が天皇のいる清涼殿まで飛んできます。

護法童子の描画について

この剣の護法童子の描画について、実際に巻物として鑑賞していくと、絵巻物は右から左へ鑑賞するため、先に剣の護法童子本人が見え、その後、尾が見えるという順番になっています。またこれがそれまでの流れと異なり、強い印象を残します。また、剣の護法童子の雲ですが、本当に真っ直ぐだと思ったら後ろの方で一回途切れています。当時飛行機がなかった時代にどうやって想像していたのでしょうか?

ちなみに、軽く調べた感じ、こんな感じで様々なもの(特に普段飛ぶはずがない鉢とか蔵とか)が飛ぶという表現がされた絵画作品ではこの作品が最初らしいです。この場面についても詳しくは私のnoteに書きました。

この第2巻では原本と模本との詞書きが入る場所が違うという大問題があることで有名です。これについては本来なら国宝本、住吉模本を掲載して説明したいのですが、国宝本はデータが見つからず(私は図書館の資料、サントリー美術館の図録で確認しましたが、転載不可)、住吉模本は意味のわからない利用規約のせいで転載できないので、国立国会図書館所蔵の模本のデータを編集して掲載しています。それぞれちょうど中央あたりの場所です。

国宝本住吉模本
病気で苦しむ醍醐天皇病気で苦しむ醍醐天皇
↓↓
詞書き剣の護法童子の描写
↓↓
剣の護法童子の描写詞書き
↓↓
剣の護法童子が飛んできた全体像剣の護法童子が飛んできた全体像

それぞれこの場所に詞書が挟まることによる効果については私のnoteに詳しく書きました。

なんで原本と模本で違いが出てきてしまったのでしょうか?1つは、模本作成が江戸時代のため、江戸時代では模本通りの順番になっていたが、その後の修復のミスによって入れ替わったか可能性が考えられます。これについては修理する人がまともに記録をセずにバラしたか使い方が雑でバラけて戻すときに間違えた可能性があります。しかし、これは可能性が低いのではと思います。というのも、詞書きでは剣の護法童子が飛んできて病気を直したという内容が書かれており、流石にフライングすることがデフォルトでは無いだろうと思うからです。特に最初の突然本題から始まるやつが後世の作業によるものだと考えると、作者がここまで考えられたのかなって思います。

2つ目は模本を作成した住吉廣保筆が意図的に入れ替えた可能性もあります。ただこれについては他の場面ではこのようなことをやっておらず、また、第1巻の最後の錯簡疑惑と書き込み疑惑がある塀についても書き込まれています。こうなるとすると原本を横において模写したので意図的な入れ替えはないと思います。しかし、詞書をあとから新調した(第2巻の奥書で明記)ため、その時に国宝本を確認せず、もしくはできず、ここがいいじゃんとなって入れた、もしくは入れてみたが微妙だったため入れ替えた可能性もあります。

他にも模本側の順番が入れ替わったとも考えられなくありませんが、こちらは状態が原本ほどひどくなっていなかったり、紙次での問題も見受けられないので確率は低いと思います。

結局、私としては2つ目の気がしますが、決定的な証拠は見つかりませんでした。ただ個人的には住吉模本の場所のほうが絵巻物のルール違反ではあるものの、視線誘導を考えたときに自然なので好きです。

第3巻(尼公の巻)

尼公の巻
尼公の巻

第3巻(尼公の巻)は、命蓮の姉の尼公が命蓮に会うために信貴山までやってくる物語です。尼公ははじめのうちは様々な家に話を聞きますが、見つからず、東大寺大仏殿で仏に頼みます。この場面が異時同図法の有名な場所です。これについては別のサイトで詳しく解説されているのでそちらに任せます。その後、悟りがあったようで、信貴山に向かい、無事命蓮と再開し、尼公は故郷に戻らず、信貴山で修行に励むことにしたという物語です。

ちなみに最後の尼公が信貴山に到着した場面でも異時同図法が用いられています。建物の柱を漫画のコマのように使って尼公の様子を描いています。

また、最後に第1巻で出てきた長者から奪った倉が屋根だけ見えています。

参考文献